2013年8月7日水曜日

『風立ちぬ』を見てきたのでダラダラと感想を書く

『風立ちぬ』を見てきたので、ネタを割らずにメモをダラダラと書いておきます。

ひとことでいうと宮崎駿が「映画」を作ったことに感動しました。

リアルタイムで宮崎駿を追ってきた者たちほど、今作にして、ようやく「宮さんが自分のために映画を作った」ことに感激しております。これまで「息子の世代のため」とか「女の子のため」とか、「誰かのため」という建前を使って自分の好きな要素を盛り込んできた宮崎駿が、そういう変化球なしで自分のためにとわがままを言ったのが喜ばしいです。

ある種、作家性の誕生というか、「宮崎時空に引きずり込め〜」というか、そういう感触がありました。

映画の全体像については、おそらく年齢層によって感じ方が変わるでしょう。三島由紀夫の『金閣寺』も10代・20代・30代と読む年代によって受け取りかたが変わる多面的な構造を持っているのですが、『風立ちぬ』もおそらくそういう感じです。とくに40代くらいになって、大切な人との離別や死別を体験している世代だと、切なさで胸が張り裂けそうになります。というか、なりました。

映画の構造としては“兵器”の開発なので、開発されるほど、つまり物語が進むほど、戦争に近づき、悲劇的な状況になるということを見るすべてが知っているわけです。物語が進むにつれて、カタルシスと悲劇のピークが一致するという構造なわけですね。悲劇についても、戦争以外の別方向からもさらに補強されて、より切なくなっていきます。とはいえ、その切ないラストをさらっと見せようとする宮崎駿の職人芸にはひたすら脱帽いたしました。

他にも演出的な職人芸としては随所にあって、夢というか妄想を使って、説明を省力しているところが絶妙でした。夢の世界に行って、ちゃんと帰ってくるときの着地の仕方がとても丁寧。“世界系”でよくあるブツ切り描写ではありません。だてに何十年も演出やっていないです。

それから今回は高坂希太郎さんがメインの作画監督で立っているのが良かった。あのヒロインの可憐さとか健気さと強さとかわいさは、高坂さんのフィルターがあってこそのものだと思う(個人的に)。

また、キャスティングで物議を醸していた庵野さんの主役抜擢ですが、結果としてアレでよかった。他のキャストがうますぎるので、主役までうまいと生々しさは出ないのだ。たぶん当代切っての名優を主役に抜擢したとしても、どこかにプロっぽさが出てしまうので、あの存在感は出せなかったのじゃないかと思う。どうも途中から庵野さんにアテぶりしてコンテ切ったんじゃないだろうかと思っくらハマっておりました。

なんとなくではあるけど、本作の主役にはある種の演技の「下手さ」が求められたのだと思う。下手な声が入ることによる、妙な不安感。ちょうど音楽でいうテンションコードみたいなもの。キレイにコードをまとめるのじゃなく、不安定なノートを入れることでちょっと緊張感が漂う感じだ。ただ、庵野さんはadd9みたいな都会的なノートじゃなくて、sus4みたいな泥臭いノートだと思う(あくまで印象)。

あと、いくつか気になった点。

主人公の同期として描かれる本庄って男がいます。主人公と本庄の関係性に、宮崎さんと高畑さんの関係性を重ねる人も多いかもしれません。かつて山本夏彦は『無想庵物語』で武林無想庵を描きながら、実は自分の半生を描くというトリッキーな技をやってのけました。今作もそういうふうに宮崎駿が誰かに誰かを重ねて、自分の話を描いている部分もありそうです。

技術的なところだと、序盤の背景が少し浮いた感じがするんですよね。黒浮きというか。油絵っぽいというか。細かく描いてあるのだけど、すごく平面的なんですよ。途中まで色彩設定とミスマッチした感じがしました。ただ、光を描写するシーンあたりから、印象が変わってきたので、制作過程で背景のスキャン方法を変えたのかもしれません(サンライズでは背景をスキャンせずにデジカメで撮影しているそうですし、そういうのかもしれません)。

以上、ダラダラとしたメモでした。

これまで宮崎駿が恥ずかしがって出さなかった作家性を初めて出した初々しさと、老獪な職人技が織りなすキメラみたいな映画でした。

ともあれ、おっさんは見れ! そして泣け! そしてヒロインに惚れろ!

0 件のコメント:

コメントを投稿