2013年8月15日木曜日

風立ちぬと禁煙学会のアレ

日本禁煙学会のアレの腹立たしさは、内容表現に見当違いの方向で踏みこんだうえで、「他の方法でも十分表現できたはずです」という表現規制をにおわせる文言があるからでしょうね。大人の事情としてクレームを出したと思うし、啓蒙活動も理解できます。でも、出してるクレームの内容が子供のケンカ過ぎて対応に困ります。“他の表現でも十分に苦言を呈することができたはず”です。

ちょっと整理すると『風立ちぬ』は《人でなし》たちを描く映画であって、人でなしに品行方正さを求められても困るというのが、映画を見た者の正直な感想。自分の子供っぽい夢の実現のために手段と目的を入れ違えて兵器を作るような人物なわけで、その人でなしが世間とどう折り合うのかが見物のひとつともいえる。だから夢の世界に逃げ込んだという解釈もありかも。

ともあれ、「学会」というオーソライズされた組織が表現規制をにおわせる文書を出すという構造は、大きな反発をもたらすわけです。

余談ながら『風立ちぬ』で泣いてるやつって、みんな人でなしだと思う(自分を含めてw)。

このコメントは、あくまで自分の解釈なのだけど、『風立ちぬ』は一種のろくでなしを描く映画であって、ろくでなしだからこそ病人の横でスパスパとタバコを吸う。だからこそ、飛行機を作りたいといって兵器を作っちゃって、オチは夢に逃げ込むという見方もできるわけですよ。

つまり、現在の尺度でタブーとされているものを日常として扱っていたことを描くわけです。基本として「眉をひそめるべき行動」を描きたいわけなので、タバコを小道具として使うのは極めて合理的な選択。

とすれば、学会の眉をひそめさせたのは、成功ともいえるんだろうな。

成功とはいえるんだけど、学会のひとのあの文面を読むと、あまりのリテラシーのなさにおじさんは涙が出そうです(あの理解力で映画とか文学とか楽しめるんだろうか?)。

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